ちょっといっぷく 第28話
第28話 学ンデ思ハザレバ
学んで而して思はざれば 則ち罔(くら)し。
思うて而して学ばざれば 則ち殆(あや)ふし。
論語為政第二
渋沢栄一の論語講義によると、「師より承けて書を読むのみにして、更に推考思索せざる人は、単に博く事を知るのみにして、心に自得する所なく、即ち昏愚にして人間万事の用に応じ難し。いわゆる論語読みの論語知らずとなり終わらん」と説く。
論語孟子を読んではみたが
酒を飲むなと書いてない
ヨーイヨーイ、デッカンショ
旧制高校生がよく歌ったといわれるデカンショ節の一節であるが、「デカンショ」とはデカルト(フランスの哲学者)・カント・ショーペンハウエル(2人ともドイツの哲学者)の頭文字をとったもの。孔子先生の説明も、簡潔にしてなかなか分かりにくい点が多いが、日本では明治の直前ともなると、一介の農民でも少し富裕なものは「四書・五経」を読み、それを自己の規範として子供を教育した。
我々も中学時代は、徹底的に暗記させられ読書百篇、意自ら通ずの教育を受けた。これが善悪の判断を迫られた場合や、逆境の場合でも無意識のうちに拠って立つべき規範として心の中に厳存していたのではないかと思われる。この自己規範がなければ暴走しかねない。
我々の時代は、「共通の古典」の存在が教育のバックボーンとしてあった。現代は古典的素養に基づく自立性の全然ない「無規範人間」が増え、相互信頼や相互扶助の精神が崩壊しつつある。今最も求められるものは、この教育のバックボーンではなかろうか。
自らの体験から論語を味わい、論語を以て己の行動基準とした渋沢栄一は「論語と算盤」の中で経済と道徳の一致を説き、義利合一、知行合一を唱えた。
さて、『ちょっといっぷく』も本稿で28回となった。
臆面もなくといわれる前に「もう書くのをやめようか」と何回思ったことだろう。その度に沢山の方々から善意に満ちた激励やら、切り抜いて保存版にしていますといった涙のでるような嬉しいお話を聞けば、少しはみんなのお役にたっているのかなという思いで、また筆を執り続けている。
私ごとで恐縮だけど、知行合一の原点に帰って、知識だけでなく実践の中で理想を実現しようとある会社の再建を思い立った。
噴火10年を経過し、侃々諤々の議論の段階は過ぎ、一人ひとりが実践の時期に入ったとの認識で、地域再生に貢献することを企業の理念として鹿島立ちする。
(島原商工会議所会頭)