新春1(平成26年元旦号)

◆2014 新春

読書のすすめ

曽野綾子さん、この人1931年生まれというから当時82歳になるのかな、鋭い切り口でベストセラー作品を出し続け、精力的に執筆活動を続けていらっしゃる。

昨年11月、ガソリン給油のため立ち寄ったスタンドで、洗車の合間に手にした某新聞に、この人が県立西陵高校の文化講演会で講演されたことを知った。

その講演の最後に、「たくさんの本を読んで下さい。本でしか学べないことがいっぱいあります」と生徒に呼びかけたということが書いてあった。

偶然にも、手にして読んでいたのが、間川清著「夢をかなえる読書術」という本であった。内容的に興味深く、本を読むことがこれほどメリットがあるのか、認識を新たにしていた。この本では、地球上に生命が誕生してから、人類が悩んで解決してきたことの9割(実はほとんど)が本に書かれている。人間が求める答えは、必ず本となって出版されているというのである。

ところが、日本人の半数が月に1冊も本を読まない。このことは、逆にいえば、それだけ本を読んで成功するライバルが少ないということ、つまり本を読めば成功の率は高いということが書いてある。

平成21年の日本経済新聞の調査によると、年収の高い人ほど書籍や雑誌の購入費が高いという調査結果があるそうだ。ビジネスで素晴らしい成果をあげている人の多くが大変な読書家だというデータもある。

本には成功談を書いたものが多いが、裏返せば成功するための方法が書いてあるといえるのではないか。本に書かれている成功する理由をうまく活用すればお金を生み出すことができるというわけだ。

ではどのような本を選べばよいのか。昔、日本経済新聞社の記者と酒を飲みながら対談したときの話である。

その記者が、「あなたは新聞を読むとき、まずどこから読みますか」と聞いた。わたしは1ページから順次読むよと応えたら「オーソドックスですね」という。なぜ彼がそういう質問をしたのか、真意は不明だが、この本では、広告を読めという。

その説明によると、本屋で売れて評判になっている本の広告が載ることが多い。本に関しては売れてから、さらに売るために広告を打つことが多い。全国紙の場合、広告料は1回で数百万円以上もかかるそうな。だから出版社としても必ず売れる内容の良い本が出稿の対象となる。

以来、私は新聞広告を見て本は買うことにしている。

読んだら実践に移す

行動のともなわない読書は、ただの娯楽にすぎない。読書は行動に移してはじめて価値がある。大切なことは、一つでもいいから、本から新しいことを学び、実践に移すことである。

山本七平氏は「自分の発想というものは、自分にインプットされた知識以上のものは出てこない。自分の発想を豊富にするためには、本を読め、知識を詰め込め」とも言っている。

ビジネス書の場合、実務上すぐにでも役に立つことを書いた本は多いが、古典の場合は、精神的な栄養となり、人生を助けるのに役に立つことがいっぱい書いてある。

デール・カーネギーの書いた「人生のヒント」という本がある。彼の書いた本は、何百万部売れたか見当もつかないベストセラーで、何十年も売れ続けている記録的なロング・セラーである。この本は各方面に大きな足跡を残した人物37人の伝記を一人当たり5分間でまとめた人物伝である。“これだから人物伝はおもしろい”ついつい引きずりこまれて1日で読み終えた。

人間なにがキッカケでターニングポイントになるか、ここに登場する人物は、すべて失敗の連続、馘首(クビ)になったり、どん底の貧乏をしながら、あるキッカケで世界的な有名人になった人達などの物語である。

全部を紹介するわけにはいかないので、とりあえず3人に登場してもらおう。

≪アンドリュー・カーネギー≫鉄鋼業で人類史上例のない巨大な富を蓄積した。この人、普段はのらりくらりして過ごす。「ぼくのまわりには、ぼくよりずっと頭の助手どもが大勢いるんでね」というのが口ぐせ。この人、生涯に合計4年間しか学校にいかなかった。

≪ウィンストン・チャーチル≫世界の運命を左右する大政治家ではあるが、大学入試には3回も失敗、ようやくパスしたのは4回目である。

≪ジョン・D・ロックフェラー≫この人も歴史に前例のない巨富を築いた人だが、スタートしたときは1時間4セントの給金でカンカン照りのジャガイモ畑を耕した。そして初恋の女性から、将来性がないと求婚を拒絶された経験の持ち主である。逆境を乗り越え、くじけず継続して努力すれば道は拓けるという教訓であろう。

日本にもいい言葉がある。「点滴岩をもうがつ」一しずくの水滴、つまり小さな力も継続して努力を続けていけば、やがては大きな岩でもつらぬきとおせる。読み人知らずの歌で「ふまれても ふまれても根強くしのべ道草よ いつか花咲くときもくる」というのもある。

本の読み方

人にはそれぞれの本の読み方はあろう。例えば岸信介元総理は、最後の結びだけしか読まなかったという。たいへん頭の良い人であったから、最後のくだりで大体なにが書いてあるか推察できるのだろうか。

わたしは、小さいころから精読型で、1冊読み終えるまで数日はおろか1か月かかることもあった。しかしおもしろい本だと、夜を日に継いで集中して読めば、多少分厚い本でも2~3日で読破することもあった。最近は速読のコツを覚え、文庫本だと1日で1冊読み終えるようになった。

すでに知っていることは、再確認するだけで、読み飛ばす、つまり「飛ばし読み」である。これだと、たとえ多忙であっても相当の読書量はこなせる。

老人の経験と知恵について

世の老人が元気すぎる(悪い意味で…)ということを聞く。老人がでしゃばり過ぎて、若者の活躍の芽をおしつぶしているという意味だろうか。一部にそういうこともあることを否定はしないが、老人には若者にない経験と知恵がある。

サウジアラビアのファイサル国王は、中山素平氏(島原出身)との対談のなかで「若い者には勇気がある。老人には経験がある」と。そして「いずれ、若い者も老人になる」と言った。

塩野七生(作家・在イタリア)の言葉に、「“賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ”というのがあるが、これは真っ赤なウソである。正しくは“賢者は歴史からも経験からも学ぶことの出来る人で、愚者は、歴史からも経験からも学ぶことが出来ない人”と言い換えるべきである」とある。

わたしは90歳に、今回発刊する「暁鐘」に登場する峯岸氏は80歳に手の届くまさに老人である。この二人、潰れかかった会社を見事に蘇生させたのだが、これは自ら求めて再建に関与したわけではない。支援を懇願されてひと肌脱いだだけの話。再建のために、過去に培われた経営のノウハウや人脈のフル活用によって成功したわけで、これは老人の底力とでもいうべきものだ。老人だって働く場所さえあれば、相当のことはできる(賞味期限は残っている)ことを立証した例であろう。

もうひとつ体験談を話そう。

島原道路のうち、一般国道251号「愛野森山バイパス」が完成したと新聞は華々しく報道した。島原半島と県央地域をつなぐ新たな動脈となる愛野交差点のあの巨大な構築物をみてわたしは、特別な感慨にふけるのである。

だれが推薦したのか知らないが、愛野・諫早間の道路改修工事について、懇話会(正式な名称は忘れた)が開かれ、島原代表で海望荘の女将さんとわたし二人が委員に選ばれ何回か出席したことがある。

あのとき、愛野町や森山町の商店街の人達から反対の意見が強かった。理由は、今でさえ過疎化で来客数が減っているのに、立派な道路が出来るとお客さんは素通りして益々さびれてしまうという意見であった。会合をかさねてもなかなか同意まで進まないので、わたしの体験を披露したことをおぼえている。

昭和32年の諫早大水害のときの話である。あの日、わたしは本明川沿いの水月楼で、当時の諫早土木事務所の所長と県庁の小田君などを交え会食をしていた。雨脚がだんだんと激しくなり、本明川の水位が高くなったとの報告が所長のところへ入ってくる。異常を感じたわたしたちは、早々に切り上げ島原へ帰ろうとしたが、もう既に道路が冠水して車は通れないという。しかたなく長崎へ行き、一泊して翌朝、車で諫早まできたが、一晩のうちに様相は一変。死者多数をだす大参事を目の当たりにした。会社のことが気になるので島原へなんとしてでも帰ろうと思ったが、勿論車で行ける状況ではなく、しかたなく歩いて帰ることにした。

島鉄の鉄路や鉄橋は至るところ寸断され、道路も冠水、特に森山周辺がひどかった。鉄路を行けるところまで歩き、行けなくなると引き返して道路を歩く。道路が行けなくなると引き返して山道を登りといった繰り返しで実に2日間かかって島原へたどり着いた経験をしたのである。特に森山から愛野周辺は低地の湿地帯で、一面に水があふれ、どこが道路やら分からぬくらい、一面、湖のような様相であった。

会議の席上でこの話をした。わたしは普賢噴火で何回も中央陳情の経験もあり、国の力を確信していたので、国(勿論県も含めて)が道路を改修することになれば、あのような水害があっても、国はびくともしない盤石の対応をするはずと申し上げた。将来100年のふるさとの安心安全を考えるなら、むしろ絶好のチャンスではないか。しかも有料道路をつくろうというのではない。出来た道路は無料(タダ)で使える。商店街が、客は素通りするだけでさびれるというが、道路事情がよくなればお客さんは便利になる。通過と考えずに、このまちを活性化の出発と考えたらどうかという提案をした。反対意見はなく、沸騰した議論は、沈静化したように思う。

島原新聞 平成26年元旦号掲載

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