新春雑感3

◆「互譲互助の精神」を

 

日本人にかえれ

 

これは一昨年創業100年をむかえた石油元売会社出光興産株式会社の全国紙全面をつかった広告文であるが、創業者出光佐三のことばである。

縁あって、わたしは、昭和32年出光の特約販売会社に関係するようになり、以来人生の半分を石油販売業に身をおき、出光とのふかいつきあいを続けた。そのために、創業者である出光佐三翁とは直接その声咳に接することもあったし、島原へ足をはこんでいただいたこともある。出光からうけた直接間接の薫陶は、いまもわたしの体内に脈々と息づいている。

出光のことで紙面を多く割くわけにはいかないが、2~3点を紹介したい。

海外で手広く活躍していた出光が敗戦によって海外資産のすべてをうしない、外地から引揚げて来る1,000人の社員をひとりもクビにすることなく、全員をひきうけ、幾多の困難のなかから不死鳥のようによみがえり、世界の出光へと発展していく過程は、手に汗にぎる冒険小説でもよむようで痛快で劇的ですらある。

なかでも、イラン石油買取事件がある。世界の国際石油資本に真正面から戦いを挑み、自社のタンカー「日章丸」を中東へさしむけ、イギリス海軍の妨害をかいくぐりながらイラン石油を満載して堂々と横浜港へもどってきた。

この快挙によって日本市場を独占していた国際石油資本に風穴をあけたのである。

敗戦で自信をうしなっていた日本人は、欧米の横暴に屈しない佐三翁の胆力と、イギリスからの訴訟をしりぞけた周到な対応に拍手喝采したのである。

佐三翁は、日本人の魂をもつ経済界の巨人であり、日本の偉人としてとりあげられるのもむべなるかなと思う。

たくさんの出光語録をのこしているが、むつかしいことばでなく、実にわかりやすい。たとえば「日本人とはなにか」ということについて「“君はうそつきだ”といわれ、烈火のごとく憤る日本人、“君はどろぼうだ”といわれてはなぐりかかる日本人、親の喜びを喜ぶ日本人、弟の出世にわが身をわすれる日本人、友の苦労を分かちうる日本人、つもりつもって祖先と、祖国をわすれ得ない日本人、けっして利己ではない。もちろん給与でも、地位でも、名誉でもない。

人のため、社会のため、大衆のためにはじめて生き甲斐を感ずる心が日本人の血のなかにある。この尊い精神が、かって尽忠報国の明治維新となり、明治の建国となった。」

とのべている。

今の世の中で一番求められている出光語録のひとつは「互譲互助の精神」であろう。つまりお互いに譲り合い、助け合う精神という意味だ。

福岡の青年会議所(JC)では、JCのメンバー自身が講師となり、偉人伝を語る講習があって、福岡市内の半数以上の小学校で約100回、のべ5,000人もの子供たちに対しておこなわれたという。昨年は出光佐三のおはなしで、翁のいう「互譲互助」の精神について勉強したということを知った。

佐三翁は昭和56年この世を去った。このとき遺族に昭和天皇から御製がとどけられた。

国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思う

 

パンとサーカス

 

1975年、文芸春秋2月号に「日本の自殺」と題する論文が掲載された。

保守系の学者たちが「グループ1984年」の名で共同執筆。古代ギリシャもローマ帝国も自らの繁栄にあまえて滅んだと指摘、日本も衆愚政治で、内部崩壊の同じみちをあゆんでいると警鐘を鳴らす刺激的な論文であった。

このとき、大方の日本人は「まさか」の意識であまり関心を示さなかった。昨年3月ふたたびこの論文が文芸春秋で発表されるや大きな反響がわきおこった。それは日本の現況が、この予言どおり現実味をおびてきたからであろう。

土光敏夫の話がある。

土光さんは知る人ぞ知る石川島播磨重工業や東芝の再建にとりくみ、その猛烈な仕事ぶりから「鬼の土光」といわれた。第2次臨時行政調査会の会長として財政再建や国鉄など三公社民営化の先頭に立った人である。

臨調の会長につかれたとき、すでに84歳であった。最初固辞されていたが、なぜ受諾したのか、実はその数年前に雑誌で発表された「日本の自殺」という論文に、かのローマ帝国はパンとサーカスによって滅びたとしるされていたことが念頭にあったからだという。

巨大な富を得たローマ帝国市民は、食料をただであたえられて労働をわすれ、サーカスに代表される消費と娯楽にあけくれていた。自立自助の精神を失ったローマ帝国のすがたは、日本の実情とかさなり国の将来に強い危機感をだいた土光さんは、その雑誌社の許可をもらって数万部ものコピーを企業関係者にくばったという逸話がある。

一体どうすれば、われわれはこの自殺への危険な衝動を阻止することができるのであろうか。「日本の自殺」では次のようにしめくくっている。

第一に、せまい利己的な欲求に没頭してみずからのエゴを自制すべき、際限のないエゴは放縦と堕落につながる。

第二に、国民がみずからのことは、みずからの力で解決するという自立の精神と気概をもつべき

第三は、エリートが精神の貴族主義を失って大衆迎合主義にはしるとき、その国は滅ぶ。指導者は指導者たることの誇りと責任とをもって言うべきことを言い、なすべきことをなさねばならない。

第四は、年上の世代は、いたずらに年下の世代にこびへつらってはならない。

第五は、人間の幸福や不幸というものが、けっして賃金の額や、年金の多い少ないや、物量の豊富さなどによって計れるものではない。欲望は永遠に肥大化するものであり、満足することがない。この欲望から開放されて自由にならないかぎり、人間はつねに不平不満のかたまりとなり欲求不満にさいなまれ続け、心のやすらぎをうることができない。

第二次大戦後の日本は、物質的にはめざましい再建をなしとげたが、精神的にはほとんど再建されてはいない。道徳は荒廃し、人心はすさみ切って、日本の魂は病んでいる、とむすんでいる。

 

島原新聞 平成25年元旦号掲載

 

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