ちょっといっぷく 第31話
第31話 四十不惑の諸君に告ぐ
四十不惑とは、論語為政篇「四十にして惑わず」からでたもの。新年を迎えて40の初老祝いに招かれ、スピーチを依頼されることがある。その時引用する挨拶文に筆を加えてご披露したい。
去る1月7日(日)朝、テレビに中曽根康弘・元首相が出演して、21世紀は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を目指せと訴えていた。
司馬遼太郎という作家について田辺聖子(作家)は、「司馬さんの業績の第一は、私たち日本人に、勇気と希望と夢と、そしてプライドを思い出させてくれたことである。司馬さんの小説を読んだ後は、ふしぎな昂揚感をおぼえる。日本の歴史を作ってきた私たちの父祖に、言い知れぬ愛着とプライドを抱きはじめているのに気づくのである。」と述べている。
内田吐夢(映画監督)は、「小説のなかで人間が、跳ねて、踊って、まるで作品からはみ出すように駆けていく。一人の人間をこれだけ深く見て、作り上げる、一歩ごとに、歩く姿、その心すべてを描ける凄い作家である。」と評している。私も、しっかりとした史実にもとづいて、鳥瞰的な写実で次から次へと息もつかせず読ませる司馬の小説は、みんな好きである。
沢山の作品のなかで『坂の上の雲』がある。
明治時代、のぼってゆく坂の上の青い天に一朶の白い雲が輝いていると信じ、それのみを見つめて上って行く青春の群像を描いた長編小説である。米と絹のほかに主要な産業とてない百姓国家の連中(当時の日本)が、日露戦争という途方もない大仕事に首を突っ込んでいく。この長い物語に秋山兄弟が登場する。
弟は、東郷元帥の作戦参謀として、勝利は不可能といわれたバルチック艦隊を日本海に迎え『本日天気晴朗なれど波高し』の有名な電文を打ってこれを撃破。兄は日本騎兵をつくりあげ、勝ち目のないといわれたコサック騎兵団と戦い勝利した。この兄弟がいなければ、日本列島は、朝鮮半島も含めてロシア領になっていたかもしれないという説もある。
前置きが随分長くなったが、この司馬遼太郎がある人との対談で「いかにして四十の坂を超えるか」人生における40歳の位置付けについて話をしている。その話は次稿にゆずる。 ―つづく―
(島原商工会議所会頭)
2001年(平成13年)1月23日