ちょっといっぷく 第30話

第30話 こいつは春から縁起がいいや

 

歌舞伎を見たことのない人でも、お嬢吉三のこのセリフは、耳にされた方は多いであろう。正月を迎え、なんとか縁起のいい話を期待したいが、さて今年はどんな年になるのだろうか。

昔から伝わるこんなセリフを聞くと、春風駘蕩の雰囲気になるのは、日本語のもつ凄さと、文化のゆとりを感ずるからだろうか。

身じかなセリフに「フーテンの寅さん」がある。

腕を通さない肩にひっ掛けたダブルの背広にソフト帽、ヨレヨレの皮のトランクに雪駄、それにこのセリフが出てくると、もう立派に渥美清扮する寅さんの再現となる。

『私、生れも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。』

昭和30年代、文壇を象徴する催しものに文士劇というのがあった。

これは文芸春秋社の年中行事として定着したが、東宝の宝塚劇場を2日間借り切っての興行でたいそうな賑わいだったという。

印象に残っているのは、「白波五人男」がある。「問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在」で始まる「白浜五人男」のリーダー日本駄右衛門(にっぽんだえもん)。桜花燭漫の土手に勢ぞろいした五人の盗賊。捕り手に逮捕される前に全員、自己紹介をして、潔く縄につくという駄右衛門の提案にひとりづつ語りはじめる。

「盗みはすれど非道はせず、人に情けを掛川から金谷をかけて宿々で義賊と噂」「も早四十に人間の定めはわずか五十年、六十余州に隠れのねぇ賊徒の張本、日本駄右衛門」

続いて女装の盗賊、弁天小僧。

「江ノ島の岩本院の稚児あがり。普段着慣れし振り袖から、髷も島田に由比ヶ浜」

忠信利平、赤星十三郎と続いて最後が南郷力丸。

「さてどんじりに控えしは、潮風荒き小ゆるぎの磯馴れの松の曲がりなり。人となったる浜育ち」

「しょって立ったる罪科(つみとが)は、その身に重き虎が石、悪事千里というからは…」作者河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)のことば世界である。

昔島原でも歳末助け合いかで、地元の知名士がカラ傘持った歌舞伎姿の出で立ちで、五人男を演じていたような気がするが、私の記憶違いかな。

昨年島原医師会から郷土の医業史「島原半島医史」976頁に及ぶ大冊を会議所に贈呈していただいた。内容は素晴らしい労作であるが、〔思い出の写真〕というのがあって、昭和30年、31年、32年にかけての助け合い芸能大会の写真が掲載されている。懐かしい医者先生方の女形やチャップリン、古典芸能「土蜘蛛」等々微笑ましいスナップである。もともと人間には演技本能なるものがあるのだそうだ。

辰巳柳太郎(新国劇)の十八番、「国定忠治」の名セリフがある。

「赤城の月も今夜を限り、生れ故郷の国定の村や、縄張りを捨て、国を捨て、可愛い子分の手めぇ達とも、別れ別れになる、首途(かどで)だ。」

昔飲み屋で親しい仲間が集まって飲み出すと、その中に1人ふたり芸達者な奴がいて、こういうセリフのあと、股旅物の歌をうたって盛り上げたものである。

今はそういうことの出来る場所も、そんな飲み方のできる時間やゆとりがなくなったような気がする。

それでは、年頭にあたり博多手一本で新年の幕開けと致しやしょう。

よ~お シャンシャン

も(ま)ひとつ シャン シャン

いお~さの シャシャン が シャン

(祝う)(三度)

おめでとうございます。

 

(島原商工会議所会頭)

2001年(平成13年)1月16日

 

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