ちょっといっぷく 第71話
第71話 国歌 君が代とラ・マルセイエーズ
わが国の国家『君が代』が作曲されたのは明治13年である。薩摩琵琶にも引用されている古歌『君が代』の文句を、宮内省の林弘守なる人物が応募の結果、当選。文部省で採用され各学校で歌われだした。
文部省は、当初道徳的であるいは国歌思想統一の面に用いることを考えていた節があるが、わが国歌『君が代』はただ「御代を寿ぐ」という程度の単純素朴な歌詞と曲をもち、当時の官や識者が期待したような強力な国家主義的思想宣伝にあまり役立たなかったのではないか。文句にしても曲にしても実に(有)がで平和的な歌なのである。
これをフランス国家『ラ・マルセイエーズ』と比較してみるといい。
来る7月14日は、フランス共和国の革命記念日で日本は通例、パリ祭と呼ばれている。
戦前、ルネ・クレール監督の「7月14日」という映画が輸入されたとき、これを「革命記念日」としたのではとうてい検閲を通らないだろうと考えた配給会社が「パリ祭」と訳すという名案を思いつき、以後、日本では7月14日はパリ祭と呼ばれるようになったと伝えられている。「パリ祭」という言葉のひびきからは、おしゃれで上品な「ふらんす」のイメージが伝わってくるが、実際は、血みどろの内戦であったフランス革命の記念日なのである。
昨年7月14日、日本経済新聞に掲載された「ラ・マルセイエーズ」を読んで、このフランス国歌の意味がわかりびっくり仰天した。
書いた人は、鹿島茂氏(フランス文学者・共立女子大教授)であるが、取り敢えず一番をできるだけ忠実に直訳すると次のようになるそうだ。
「行け、国家の子どもたちよ/栄光の日はきた!/いまや、われらに対し、暴虐の/血塗られた旗が掲げられている!(繰り返し)/聞こえるか、野や畑で/残忍な兵士たちがわめき騒ぐのが?/やつらはやって来る、われわれの腕の中でまで/抱かれた息子や同志の喉をかき切りに/(ルフラン)/武器を持て、市民諸君、ただちに軍団を形づくれ/さあ、進もう!進もう!(やつらの)不純な血でわれらが畑のうね溝を浸して見せるぞ」
2番以下はもっと過激な歌詞が連ねられていて、訳すのもいやになるほどのものらしい。いずれにしても、『君が代』の典雅な歌詞になれた日本人にとって、一国の憲法に定められた国歌がこんな血塗られた歌詞では肌にあわない。
以下は鹿島氏の解説である。
おそらく、フランス人は国歌として無意識に歌っているときには、だれも、いちいち歌詞の意味も考えもしないだろう。しかし、無意識であればあるほど、歌詞は心の深層に沈殿する。そして、時至れば、それは鮮烈なイメージを伴って蘇ってくる。そう、われわれの腕に抱かれた息子の喉をかき切りにやってくるやつらを返り討ちにして、その血を畑のうね溝に流してくれるぞ、という強烈な排外的愛国家主義の心情となって!
ラ・マルセイエーズは、革命が最盛期を迎えようとしていた1792年に、現在の独仏国境の町ストラスブールを守備していた工兵将校の作詞作曲になるもので、国土を侵す敵を撃退するために動員された軍隊の行進歌だったのだ。
それにしても、なぜ、この血みどろの排外的行進歌が引き続きフランス共和国の国歌として歌われてきたのだろうか。
第二次大戦の終結までは、対独復讐主義がフランス人の国民的合意となっていたからに他ならない。しかし、ナチス・ドイツは敗北した。ドイツが仮想敵国でなくなったあとは、冷戦時代のソ連、ド・ゴール時代のアメリカ、経済摩擦のときの日本、そしていまはアングロ・ザクソン的グローバリズムである。
つまり、ラ・マルセイエーズとは、侵略的な外国の存在を前提にしたナショナリズムの賛歌なのであり、それを国歌として定めるフランス共和国はナショナリズムの塊のような国家なのである。
(前島原商工会議所会頭)
2003年7月8日