ちょっといっぷく 第70話

第70話 人生の短さ

 

産院で分娩中の妊婦。すごいうなり声とともに、「スポーン!」とシャンパンコルクのように彼女からとびだした赤ん坊が、病院の窓ガラスを突き破って飛んでいく。森をこえ山をこえ、飛びながら赤ん坊は少年へ。さらに青年から中年へと成長し、ついには老人となって、墓地に置かれた棺桶に「ドカン!」と頭から突っ込む。

で、最後の2行のコピー

「人生は短い。もっと遊ぼう」

 これはイギリス製のCM(朝日新聞・天野祐吉 CM 天気図)だそうだ。

紀元前、ローマ人であるセネカは「人生の短さ」についてこう述べている。

「あなたがたは人生を短いという。しかし何が短いものかそれを無駄に使って短くしているのはあなた方じゃなか。それをいかに効果的に使うか。そうすれば人生は長い」

(いま大人に読ませたい本から)

 時間を無意識に浪費している者にとって耳の痛い言葉であるが、人生の時を3倍も5倍も有効に使ってらっしゃるご仁がいる。

代表選手として2人のことを書きたい。

最初の登場人物は、日野原重明先生。当時92歳、聖路加国際病院理事長、同名誉院長、現役バリバリのお医者さんである。

文芸春秋5月号で「時間の上手な使い方、過ごし方」について紹介している。戦前、戦中、戦後と医学一筋に走り続けてきたが「人は創めることを忘れなければ、いつまでも若く老いない」という文章に啓発され、88歳の時にミュージカルの脚本を書き以来作曲を楽しむことになる。

日常の生活は、朝5~7時に起床。週1回は徹夜。1日18時間は仕事をしているという。車の中だろうと、飛行機の中だろうと、原稿を書き作曲をし、校正をしたりテープに吹き込んだり…。

最近の著書『生き方上手』はベストセラーになっている。

老化の進行は、私たちが体や脳を使わないことから来ることが多い。意識して、頭と体を使えとおっしゃる。

さて、もう一人は「朝2時起きでなんでもできる」を書いた枝廣淳子さんである。

職業は同時通訳・ジャーナリスト、家族が起きる前、電話も邪魔も入らず、静かな自分ひとりだけの時間に仕事の準備や原稿書きに集中する。

因みに最近の1日のスケジュールは、午前2時起床・7時家族起床、朝食、弁当作り、7時45分家を出る。9時通訳、現場で講演者と打ち合わせ・10時会議開始、同時通訳・12時会議終了。昼食、都内移動、13時次の現場で打ち合わせ・13時30分セミナー開始、同時通訳。17時セミナー終了、18時帰宅、食事の支度、18時30分後かたずけ、おふろ・子供の宿題を見るなど、20時30分就寝。

11年前は、一日中、長女に母乳を飲ませ、おむつを洗っていた。外国人を見れば逃げ出す英語嫌い(東大卒)、夫の転勤で米国で暮らすことになる。

DIYショップにホースを買いに行き、英語が通じない。店長が出てきて「何に使うんだ」と聞くから「プールに水を入れるのだ」と身振り手振りで一生懸命説明して「OK。ホーズですね」ホースは馬であり、店長はショップに馬を買いに来たと思ったらしい。

この程度の英語力しかなかったものが、米国滞在の2年間に猛勉強を重ね、最難関といわれる同時通訳に挑戦、帰国後は、同時通訳にとどまらず翻訳、環境ジャーナリストと幅を広げた。

お二人の生活スタイルは息が詰まりそうな気がするが、ご当人たちはイキイキと楽しんでやってらっしゃる。これは枝廣さんがいう3つの要素が備わっているからだろう。

1.自分の好きなことをやっている(興味)

2.自分にそのスキルがある(能力)

3.それが大事だと信じている(価値観)

 日野原先生は言う。釈尊が生老病死にどう対処するかを学ぶため、城を出て修行の旅につかれたように、そしてソクラテスが、人はどうよく生きるか。その答えを探し求めたように、私たちはどうよく生きるか。どうよく老いるか。どうよく病むか。そして最後にはどうよく死ぬか。そのことを考えなくてはならない。

枝廣さんは、一生を終える最後のときにこの世に残していくのは「人にどう見られたか。人にどう思われたか」ではなく「自分はどういう人間だったか。何をしたのか」だという。二人に共通して言えるのは

一日一日を精一杯生きているということ。そして開き直りともとれる強烈な人生哲学の持ち主である。ということだろう。

(前島原商工会議所会頭)

2003年7月1日

 

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