ちょっといっぷく 第35話

第35話 ユーモアと知性

 

笑いというものは、もともと知性の産物である。高級な知性からしか生まれて来ない。               河盛好蔵

本棚の片隅にあった1975年から78年にかけて大阪府知事であった黒田了一氏(北野の先輩)が書いた本を引っ張り出して読んだ。哲学的な内容(本人は法律学者)は示唆に富む話で難解な点もあるが、その読書量の大きさ、深さに圧倒された。多分誠に真摯なご仁であろうと思うが、その人がユーモアについて触れているのが面白い。

彼が言う。がんらい、日本の官僚は石頭で知られている。規則ずくめ、個性よりも先例と慣行が尊重され、当意即妙の新機軸を自由自在に発揮しがたい状況下に置かれている。それがとかくマンネリズムの泥沼にうごめく存在となり、激動する社会の変転に対する敏速な適応力を鈍化させる結果を招くらしい。

そこで話は続く。

「諸君!ここに3軒の食堂が店を並べていた。不況脱出の念願から、右隣がまず“大阪一のうまい店”と大看板を高くかかげた。すると左隣りがこれに負けじと、“関西一の安い店”と豪華な看板をかかげた。さて、真ん中の店はどうすれば良いか、妙案如何?」

大阪一番・関西一番の発想からすれば、「日本一」「世界一」とくるか、ところが、「ふまじめな人間」の型破り的発想のすえに編み出された妙案は、矢印をつけた「入口はこちら」という張り紙をするだけだった。そして両隣りの集めた客の大半を自分の店に誘導してしまったという。

ユダヤ人の家庭では、ジョーク(冗談)やウィット(機智)が生活に不可欠のもの、高度の知的・教育的なものとして重視される。それは日常性・常識性に溺れこんで沈滞しがちな現状を別の角度から見る訓練になり、綜合的・対局的な判断力に道を拓くうえで大いに役立つからだという。

母子の会話。子供―「ママ、太陽の落ちるのを見に行っていい?」ママ―「でも、あんまり近くに寄らないでね」

もう一つ。教師―「これはヒドイ答案だ。一人でこんなにアチコチまちがうとは」生徒―「まったく。ボクもそう思います。実は父も母も兄も手伝ってくれたからです」

吉田茂。敗戦国日本の首相として五次にわたる内閣を組織した。昭和日本を代表する第一級の政治家。

ある訪客が、「閣下はいつもご血色がよろしいが、なにを召しあがるのですか」とたずねたところ、言下に、「人を食ってるからですよ」と答えた。こういうのが一流のウィット(機智)というのだろう。

彼は又、落語が好き、テレビは捕物帳が好きだったという。

(島原商工会議所会頭)

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