ちょっといっぷく 第10話
第10話 海軍予備学生物語
昭和16年5月、兵学校出身者を補うため一般大学卒業者を採用して初級将校とする『兵科予備学生』の制度が発足した。
その後18年12月の「学徒出陣」でその数は海兵出より遥かに多く、そのなかから沢山の特攻志願者が出て戦場に消えた。
私の知っているIさんも早稲田大学法学部出身の海軍予備学生であった。
以下当時のI海軍中尉から直に聞いた話。
土浦航空隊で海軍飛行予科練習生(略して予科練という)150名程の教官をしていた。
予科練の訓練・教育は激烈を極め数多くの優秀な若鷲が巣立っていった。
戦局不利となるや、預かった生徒の中から15名の特攻隊員を選び出せと命令された。
身上調書から長男は外し、いろいろな条件を勘案消去して15名を選んだ。中には血判書を出した者もいる。
出発にあたり15名を引率して駅まで行った。駅前で15名をならべ「俺からなぐられてない奴は手をあげろ」何人かが手をあげた。彼等を思い切りぶんなぐって「おめでとう」といってやった。
彼等が汽車に乗って去っていったあと、いっぺんに力が抜け、プラットホームにへなへなと崩れ落ち、土下座して号泣したという。幸せなことに、彼等は乗る飛行機がなかったため特攻に行かずに全員生きているそうだ。
以下余談。
横須賀鎮守府から長崎転勤を命ぜられ、汽車に乗って真っ直ぐ長崎へ行けばいいものを、かつて下宿していた鈴木由美子さん(勿論仮名)という初恋の彼女のところへ迂回して2泊した。3日目に仲間から長崎に特殊爆弾が落ちたらしいと聞かされ、すぐ汽車に乗って長崎へと向かった。
司令部へは行かず、真っ直ぐ我が家へ行ったが跡形もなく全壊であった。
翌日、汽車の着く時間を見計らって司令部へ着任のあいさつに行った。
相手の大尉殿(手か肩を負傷していた)「ご苦労、君は長崎だったな。すぐ家へ行ってきなさい」といわれ再び家族のいる親戚の家へ。
Iさんの奥方の名前は奇しくも「由美子」とか、3人目の「由美子」もいるとか、いないとか…。(島原商工会議所会頭)
2000年(平成12年)8月1日