県知事対談(平成9年3月17日)
対 談
平成9年3月17日 小浜町雲仙にて
長崎県知事 高田勇
島原地域再生行動計画策定委員会委員長、島原商工会議所会頭 森本元成
知 事 平成3年6月3日、大火砕流が起きて、尊い、多くの方の命が失われました。
それからもう、何年も、何年も、災害が続き、復興はできない。毎日、毎日、土石流でやられ、降灰にさいなまれ、雨が降れば土石流。
何もできない、逃げ惑うのみという日々が続きました。
早く山が止んでもらいたい、止んだらば、何とかして、もっともっと水清く、緑あふれる、前よりもはるかに立派なまちをみんなで作りあげていきたいと念じ続けてまいりました。
そして山が止み、さっそく森本委員長さんに、大変お忙しいところをお願いいたしまして、昨年5月17日に第1回策定委員会を開いていただき、この「がまだす計画」の策定が始まったわけであります。
それから、ちょうど10カ月後の今日、最終報告をいただきました。
委員長さんには、この立派な計画をお作りいただいたことを、まずもって、お礼申し上げたいと思います。
私は、このように大きな成果を生み出したということが大変嬉しく、率直に言いますと夢のような気がします。
委員長 知事さんから、この「がまだす計画」の話を聞いた時期といいますのは、災害の長期化で、地域全体がかなり落ち込んでおりました。
経済も落ち込んでいましたし、人も疲れきっておるというような状況の中での、「がまだす計画」ということで、これはとてもいいことだと感じたわけです。
ですが、私にまとめ役の話があった時は、その責任の重大さを、ひしひしと感じ、同時に、「計画を1年間で仕上げて下さい」ということも言われまして、正直言って「できるのかなあ」という不安も、実はあったわけです。
しかし、70人の委員をはじめ348名の部会員の方達が、一生懸命になって、大変な意気込みで取り組んでいただき、自由闊達な議論の中で、今日やっと、最終の報告ができました。
私自信も実は、ほっとしておるところでございます。
知 事 この計画が実現できるとですね、これは立派なまちができますよ。
森本委員長にせっかくお作りいただいたこの計画をみんなで実現していかなくてはいけないなあという決意を、いまさらながらしておる次第であります。
委員長 そうですね。やはりこれは、島原半島全体が一丸となって、人的にも、物的にも、これはもう一つになってやる、いわゆる総力戦で臨まなければいかんということを感じております。
実は、このことは、計画を作る当初から感じておりました。
そのため、多くの住民の方に「がまだす計画」というものに対して関心を持って、できるだけ参加していただくように、いろいろ工夫をしたわけです。
会議を全面公開にするとかですね。「がまだす報告」を出して住民の方々に議論の中身をその都度知らせる。また、マスコミにも協力をいただいて各種広報活動を行う。
さらに、ガマダスファックスで住民のアイデアを募集する。
こういう、いろいろなことをやったわけです。
つまり行政が何かしてくれるのをじっと待っとくだけでなくて、やはり住民一人ひとりが主役なんだと、積極的に参加するような、そういう雰囲気を、私達としてはできるだけ作らなければならないということで、微力ながら力を尽くしてまいりました。
知 事 「がまだす報告」については、あれだけのものを短期間にまとめたという話は、率直に言ってこれまで例がありませんね。
それぞれ意見を出し合って30数回も議論をして、そしてもう900ページになんなんとする膨大な、しかも、建設的な中身のものを、こうやって毎回出していったということは、役人生活を永いことやりましたけれども、未だかつて聞いたことありません。
これは、1つの大きな流れというか、もう情報は公開、そして住民の意見というのをできるだけ聞く。そして、それを取り入れてみんなでまちをつくる。
これが地方分権の基本だという、1つの大きな手本を見せてもらったような気がしてますね。
委員長 もともと、この計画の愛称の「がまだす」という言葉は、私達の小さい頃は、しょっちゅう使っていました。
いわゆる島原半島の方言でございましてね。「がまだすぞ」とか「がまだせ」とか、要するに精一杯頑張るという意味です。
最近は若い人はあまり使わなくなってしまっていたのですが、それが、この「がまだす計画」が始まりましてから、例えば「ガマダスビール」とか、あるいは「がまだす祭り」とか、そういった色々な分野で使われ出しまして、まさに島原半島の合言葉みたいな感じになってまいりました。
特に、若者が中心になって自主的に計画した「がまだす祭り」というのがございましたが、これは、半島全体が大変な盛り上がりでございまして、メインイベントには10万人以上の人が集まりました。
これこそが、「がまだす計画」のめざすものではなかろうかと感じました。
知 事 そうでしたね。
そういうご努力があって、これだけの27の重点プロジェクト、しっかりと中身が盛り込まれたものが、できたわけですよね。
この中には、「緑のダイヤモンド計画」、「火山科学博物館」、「道の駅」、あるいは、「土石流災害遺構保存公園」をつくるとか、運動・スポーツの施設なんかも入っている。
スポーツの施設としては、あの砂防指定地内の利用についても、国にもっと強くお願いをしてみようと思います。
観光、スポーツ、災害遺構の保存、それから桜並木もつくるというような、いろんなものが総合的に盛り込まれています。
島原にいろんな夢が結集して、出来上がってきている。
私は、これを読んで、非常に胸おどるような感じがしています。
これは是非実行していきたいし、そのためには、今日の委員会にもありましたように、計画の進行管理というものをしっかりとやっていく必要があるというふうに思います。
委員長 がまだす計画を策定する過程で、国とか県、市、町とか、これがもう「がまだす」ことはもちろんでありますが、何よりも地域の住民が、「がまださ」なければ真の復興はないという思いを強くしています。
これは、計画づくりに参加したみんなが、そういう思いであろうと思います。
島原半島のいろんな分野の人が一堂に集まりまして、自分たちの地域のことをこれほど率直にしかも熱心に考えて意見を述べあったことは、今だかつてなかったことではないかと思います。
このこと自体が、「がまだす」がめざしたことで、「がまだす計画精神」と言えます。
住民の皆様に申し上げたいことですが、がまだす計画の目的というのは、災害で落ち込んだ島原半島を、どういうふうに復興、振興させていくかをみんなで考える、そのこと自体が目的であって、単に施設を整備していくことが目的ではないんですね。
その真の目的を達成するために、施設の整備もするわけで、それは手段でしかない。目的と手段を混同してはいけないと思うんですよ。
要するに、全て行政がいろいろしてくれるんだろうと、今までの議論は、ほとんどそういう面にだけ集中していたような気がします。そうじゃなくて、国や県の、いわばハードの整備をいかに活用して活性化のバネとするかということが、実は、目的なんですね。
だからまさに主役は、そこに住む住民そのものだと思います。
ともかく、住民が「がまだす計画」を成功させるために、心を1つにして、全知全能を傾け取り組んで行かなくちゃならない。
まさに今から始まるんだという気がいたします。
今回の災害では、義援金をはじめ、全国から大変なご支援を受けました。その全国の人たちが島原がどういうふうに復興するんだろうと、注目していると思うんですよ。
プロジェクトの中にも、そんなご支援、ご期待にお応えする事業も盛り込んでいますが、ここはぜひ、全日本の模範になるような復興を達成することが、やはり一番の恩返しだと思います。
そのために、一生懸命にがんばってまりたいと考えております。