随筆~あれこれの記~1(平成27年元旦号)

はじめに

 

今年もまた、平成27年の新しい正月を迎えることができたが、何年か前の元旦に俳人の金原まさ子さんのことを新聞で見たことを思い出した。

当時、『あら、もう102歳』(草思社)という本を発表されていた。こちらは、あとがないという意味で『エッ もはや90歳』とでも言いたいところだが、金原さんの生き方や作品は、素人のわたしにとっても艶やかで、そこはかとない色気さえ伝わってくる。歌を詠む人は、感受性はもちろんだが、しなやかで心の豊かな人達であろう。

90歳は卒寿というのだそうだが、人の命に卒業はないと柄にも無く、開き直ってみたりする今日である。

京都大学元総長平澤興先生のことばに

60歳で一応、還暦という人生の関所を過ぎ

70歳で新しい人生を開き

80歳でまた第3の人生が始まり

90歳まで生きないと本当の人生は分からない

とある。

われわれにとって、力強い応援のことばではあるが、さて90歳を超えるとどのような人生となるのであろうか。

まだ人のお世話にならず、なんとか身の回りのことも自分でできる間は、毎日一所懸命働いて、チャンと税金や保険料も払い、後継者を育て、雇用拡大の道筋をつくることをおのれの天命と心得、満足したときに、さよならできたら最高のしあわせだと信じている。

過日、大阪の学校の同窓会の席上、医師である同級生の一人が

「高齢者にとって生死の問題は切実である。一番大事なことは、最後までやる気を失わず立派に死ぬこと。いい奴は早く死ぬ。もう年なんだから、悪いこと(?)をして来年も元気で集まろう」

とスピーチして、みんなを沸かせたことを思い出す。

新しい年を迎えて、人並みに「家内安全、商売繁盛」と願いたいところだが、現実の世の中は、景気はどうなる?国の財政・少子高齢化の社会をどうする?とまことに厄介な話が多すぎる。身の回りの苦労もあれこれ思い患うことの多い世の中ではある。

さて昨年の暮れ、何人かの知人から「島原新聞の元旦号には、なんば書かしとかない、楽しみにしとっとですよ」と巧言に乗せられて、今年もまた、駄文を書くことになったが、いざ書くとなると、なにを書いたらよいのか、思案を重ね落ち着かなかった。まあ90年も生きていろいろ勉強もさせていただいたし、人並み以上の経験もした。肩肘張らずに、読者のみなさんに一つでも役に立つようなことを、思いつくままに書く。つまり随筆であれこれを書くことにきめた。

昨年、島原新聞社の新社長就任祝賀会のとき引き出物として頂戴した「新明解国語辞典」を引いてみると随筆とは「平易な文体で、筆者の体験や見聞を題材に感想をも交え記した文章」とある。

これなら書けると思った。忙中閑あり、ゆったりとした正月のひとときを、退屈しのぎにご一読願えれば幸いである。

 

天に星、地に花、人に愛

 

誰が言ったのか、どうしても思い出せない。なんと素晴らしい言葉であろうか。わがふるさとは、空は限りなく青く、夜ともなれば満天に星はきらめき、気候温暖、水はこんこんと無限に湧き出る。豊沃な大地、住民が心優しく勤勉で向学心にもえる。これだけの天然資源にめぐまれた島原半島を一言でいえば、このような表現になるのであろう。まさに島原に住む私たちの生きるよろこびを歌った詩の一片といえる。

さて、ここでどうしても登場願いたいのは、明代を代表する詩人高啓(別名青邱子と号す)の『胡陰君を尋ぬ』と題する詩である。

 

水を渡り また水を渡り、

花を見 また花を見る。

春風 江上のみち、

おぼえず 君が家に至る。

 

意味はけっして難しくない。快い春風に吹かれて、あちら、こちらの爛漫と咲き誇るきれいな花を見ながら歩いていたら、知らない間にあなたの家に着いていたよ…。

実にやさしくて覚えやすい。そして、その情景があざやかに目に浮かぶ詩ではないか。美しい花々は、時のたつことや、歩く距離さえわすれさせてしまうということを歌っているのである。昔から花を愛する人に悪人はいないという。

27万株の芝桜公園をつくりあげた。そして又、1千万本(県内最大)のコスモスを植え、昨年の秋桜まつりは1万2千人の来場があったと新聞で報道された。島原人の心意気を見た思いがする。更には又、グリーンロード(広域農道)を車で走ると、有明町に入ったところから、道端の左右につつましく、きれいな花が植えられている。行政がしたのか、地域住民の有志が自発的にされた行為なのか知らないが、道行く人は心をなごませ、ことばでなくても、おもてなしの気持ちが伝わるのは筆者だけではあるまい。

 

たぬきの前金物語

 

むかし、お店の前に徳利(焼き物でつくった酒を入れる一升びん)をぶら下げた信楽焼きのたぬきが置いてあるのをよく見かけた。なぜたぬきか、その意味が分からず疑問に思っていた。

その答えは、永六輔の本で納得した。あのたぬきは堂々と玉を下げて前金を要求しているのだそうだ。商売は現金で、日ゼニを稼ぐことが基本だと教えているのだろう。

この前金で思い出すのは、小林一三のことである。この人は、大阪の梅田駅構内に阪急百貨店を開業し、そこから宝塚まで阪急電鉄を走らせた。その沿線に次々と住宅を建設。今や大阪市の衛星都市として閑静な住宅街となっている。

私は学生時代、この阪急沿線の豊中市岡町に下宿し、ここから学校にかよっていた。

この時分、小林一三翁のことをいろいろ聞かされた思い出があるが、そのなかで特に印象に残っているは、前金商売の話である。

小林一三の商売の原点は前金商売である。電車に乗るには、乗る前に切符を買わなければ乗れない。宝塚歌劇に行って観劇しようと思えば劇場に入るまえに入場券が必要。即ち前金の発想なのだ。(余談だが、鉄腕アトムなど数々の名作漫画をのこした手塚治虫は、筆者が学んだ学校の二期後輩で、宝塚に住んでいた。故人。)

この事業展開でも分かるように、アイデアが泉のように湧いた独創的な実業家といえる。

はじめから順風満帆ではなかった。三井銀行に入るが、やる気がない。小説執筆に没頭して4か月くらい経ってからようやく銀行に顔をだしたという。こういう人だから出生街道からは外れ、窓際に5年いたのだそうだ。だが鉄道事業に転じてから「商売はいくらでもある。仕事はどこにでもある」と目覚め発奮する。

後の活躍からは想像できないほどの不遇な時代を経験。花開くまで新人時代から数えて14年もかかっている。

関連があると思われる京セラの名誉会長稲盛さんの話をしたい。

この人については、項をあらためて書くが、ここでは「キャッシュベースの経営」について取り上げてみたい。

お二人に共通するのは、経営は「お金の動き」に焦点をあてて、物事の本質にもとづいたシンプルな経営をめざせ。つまりキャッシュベースが大原則だという。

稲盛さんは、その著書のなかで、この考え方の出発点について、帳簿上儲かったお金はどうなっているのか、ということに疑問をもち、いわゆる現金主義経営に至る経緯をくわしく説明している。簡単に言えば、儲かった金は、売掛金や在庫、設備などさまざまなものに姿を変えているので、簡単にどこにあるとはいえない。苦労して利益を出しても、それをそのまま新しい設備投資に使えるわけではない。売掛金や在庫が増えれば、お金はそこに吸い取られているわけだし、借入金を返済すればお金は消えてしまう。

経理担当者にとっては当たり前のことなのだが、考えずに金を使うと、いわゆる勘定合ってゼニ足らずの現象をきたす。

銀行は、「天気の良い日には傘を貸すが、雨が降れば取り上げる」といわれている。酷な話に思えるが、お金を貸して取りはぐれたのでは銀行の経営が成り立たないので、雨が降ったら借りた傘は取り上げられるというのは当たり前と考え、どんなときでも自分の力で雨に濡れないようにしておかねばならない。つまり内部留保を厚くし、自己資本率を高めよ。目指すべきは無借金経営ということだろう。

以上は稲盛さんの書いた本からの引用である。

筆者の経営する会社の話になるが、現金主義を原則とし、車両購入などの設備投資、買掛金、諸経費の支払いすべて現金で手形等の発行は一切ない。従って手元の計上利益を現金化するためには、売掛金など受取債権の早期回収化が必要で、これは当社独特の消し込み法によって厳格に管理され、回収金内で支払いが出来るよう資金の回転率を高める努力をしている。

車両の購入が必然的にやってくるが、現金で支払いをするためには、当然銀行からの借入となる。その場合、会計上経費となっているが、実際にはキャッシュとして残っている減価償却費の範囲内という原則がある。

要は、たぬきの前金とまでいかないが、できるだけ資金の回転率を高め、現金主義に近い経営をめざしている。

 

島原新聞 平成27年元旦号掲載