ちょっといっぷく 第99話 三題噺

第99話 三題噺 その1『ローレライ』

映画『ローレライ』が全国の東宝系映画館で一斉に封切られたのを機会に、長崎のステラ座で鑑賞した。

もともと「終戦のローレライ」という小説が02年12月に講談社から刊行されていた。原稿用紙2,800枚の大長編物語で、吉川英治文学新人賞、日本冒険小説協会大賞を受賞した作品である。

読み終えて、大人に勇気と希望をあたえる冒険物語であるが、示唆するものがあり教訓的でもあると思っていた。

「ローレライ」は、広辞苑によると、ライン川中流の右岸にある巨岩、岩上に憩う水の妖女の歌声に魅せられて漕ぎ行く舟人は舟もろとも淵に呑みこまれるという伝説があり、ハイネの詩で有名、とある。

この物語では、ドイツの伝説に語られるライン川の魔女にふさわしく、海中を自在に見通す特殊兵器ローレライとして活躍する。

映画「ローレライ」は、小説「終戦のローレライ」の映画化ではない。本稿では映画「ローレライ」について書く。

あらすじ…1944年6月のミッドウエー海戦の敗北と、翌年初頭のソロモン諸島ガダルカナル島からの撤退で、戦局は日本に不利となった。

日本軍は、米軍の進撃を押し止められず、1944年6月にはマリアナ諸島でこれを迎え撃つこととなった。

マリアナ諸島のサイパン島そしてテニアン島を奪われれば、日本は新型の長距離重爆撃機(B-29)の射程に入り焦土と化す(史実では原爆搭載機はテアニン島から飛び立った)。

マリアナでの戦いは、文字通り「決戦」であったのだ。だがこの戦いで、日本は敗れた。この結果、日本に残された選択肢は、どのように敗北するかのみとなった。

こうしたなかで、少しでも敵に損害を与え、敗北の条件を有利にしようとすることが試みられ、敵艦に体当たり攻撃を行う特攻隊がつくられる。

潜水艦部隊でのそれは、人間魚雷「回天」であった。

「ローレライ」の舞台となる1945年夏、敗北の直前に戦利潜水艦「伊507」が密かに出撃したとき、戦艦「大和」は沈み、空母機動部隊もなく、特攻機を飛ばす燃料さえなかった。世界第3位の帝国海軍は消滅していたのである。(映画「ローレライ」解説書より)

原子爆弾はすでに広島、長崎に投下され、第3の標的を東京と定め、原爆を積んだB-29がテニアンから飛び立つべく準備は着々とすすめられていた。

特殊兵器ローレライを積んだ「伊507」は、水中排水量4,400トン、全長100メートル、20.3㎝連想主砲2本を備えた海の中の戦艦なのである。

乗務員にナチスドイツの犠牲となった人間兵器や日本の特攻志願兵、南方戦線を体験した者など、同じ艦の中に、第二次世界大戦の3つの悲劇を象徴する人物が押し込められている。それぞれの人物の心理的葛藤がトラブルの原因となるが、最後にはお互い共通の目的にむかって収斂されていく。

「伊507」は、空母を旗艦とする敵機動部隊40隻の包囲網をくぐり抜け、たった1隻で約半数の敵艦を撃沈または、操舵不能とし、テニアンへとたどり着く。

そして、自艦の10倍の体積を持つ敵の旗艦空母の真下から浮上、舷側にピタリと横付けた。この場面の映像は、水中から突然姿を現した巨鯨ににて迫力満点である。

そのあと映画は、原爆を積んで東京へと飛び立ったB-29に向かって20.3㎝の2本の主砲が火を吹いた。

先頭を行く誘導機、続いて原爆を積んだB-29に命中、原爆はマリアナ沖の海底深く沈んだ。そして東京は救われた。

「作戦終了。本艦はこれより帰還の途につく。機関始動」

「両舷前進全速。…さあ、帰るぞ。」

だが、潜航能力を失った「伊507」は敵艦の集中砲火をあび、満身創痍となり絹見艦長以下全員海の藻屑と消えていく。

この映画は、国を守るため、家族を守るため、日本の未来を守るために戦った男たちの物語である。

そして単なるエンターテインメント(娯楽性の強い映画)だけではない。

「人は何のために戦うのか」「人は誰のためなら死ねるのか」なぜ!なぜ!という問題提起をしている。

しかしながら、いまの日本の有様をみれば内心忸怩たるものがあるのは、筆者のみであろうか。

日本戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」に、ある学生のこんな詩がある。

『私は限りなく祖国を愛する/けれど/愛すべき祖国を私は持たない/深淵をのぞいた魂にとっては…』

愛することのできる祖国を私たちがもう一度取り戻さなければ。

「伊507」の絹見艦長は言う。

私は信じる。日本人の未来を!

2005年4月3日