ちょっといっぷく 第83話

第83話 人間の死亡率は100パーセント

 

考えてみると、これは当たり前のことだ。人間生まれたら必ず死ぬことは決まっているのである。若い時分や健康なときは死ぬことなんて、殆ど考えてもみなかった。

しかし年齢をとり、仲間に先立たれ老病死が避けられないことがわかってくると、残りの人生をいかに生くべきか、そして死というものに対してどう向き合うのか現実感覚で真剣に考えるようになる。

この場合、先達の人生観、死生観は大変参考になる。

「人間50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。

ひとたび生をうけ、滅せぬもののあるべきか」

 信長が桶狭間の決戦前に一差舞って出かけた幸若「敦盛」の一節である。無人の宇宙船に搭載されたハップル宇宙望遠鏡は65億光年も遠くにある他の銀河誕生とか、消滅の光景を写して送り届けてくれるが、この桁の違う距離や時間について知らされることで、人生50年、今やそれが80年になったとしても、塵のようなもの、つまりはあってもなくてもいい、夢、幻のようなものだという実感はわかる。

しかし生命に限りがあるからこそ、その限られた人生をいかに充実させ悔いのない人生をおくるか、苦労し、努力しているのである。

人生とは必ず途中で終わるものなのだ。われわれの誰一人としてゴールインすることは出来ない。故に人生はマラソンではなく、子や孫へのリレーなのである。これは松原泰道著「般若心経」にでてくる言葉である。

 人は老境に入ったとき、どう生きるかと同時にどう死と向き合うかは、どんなに避けようとしても避けようのない最大のテーマである。人それぞれの考え方があり、やり方がある。

 映画監督で脚本家の新藤兼人(91歳)は、仕事こそ生きることのすべてだとおっしゃる。人が死ねば葬式があって、極楽とか天国とかに行くことになっているが、極楽や天国などがどこにあるのかわかっていない。

人は極楽や天国に行くために生きたのではなくて、仕事という現実のために生きたことがはっきりしてくる。その現実がプツンと切れて、死になれば、最後までつながっていたものは仕事ではないか。

仕事は宗教ではないが、宗教以上のものである。仕事は人間のすべてである。仕事なしでは人間は生きられない。

この人の哲学は凄まじい。要するに死ぬまで人間は仕事しろということだろう。定年退職者で仕事のない人はどうするのか、それは何か熱中できるものを持てということではないか。

人生をいかに生きるべきか、その奥義ついて山田恵締天台座王がNHKの海老沢会長に語った言葉を雑誌で読んだ。

内容は「百年の大計」を持って生きよ。人間の一生は、100年ほどのこと。過ぎてみれば決して長いということはない。死んだ後の100年も頭に入れて人生を送ったほうが物事が良く見える。心も豊かになる。現在の栄光や批判に右往左往することなく、100年後の批判を畏れる心構えをもてば、名を残すと言う事ではなく、本当の意味で生命の輝きを持って今を生きることにつながる。

同時に「忘己利他」(己を忘れて他人のために尽くせという意味)を教えられる。

これと同じことを京セラの名誉会長稲盛和夫氏は、その著書「哲学・人は何のために生きるのか」で述べている。

戦後荒廃したにほんを再建し、豊かな人生を送ることを目指して懸命に働いてきたけれど多くの人達は心が満たされず不安を抱きながら生きている。

それはなぜか、人間の生き方や考え方について真剣に考えることなく、また足りることも、人を思いやれることも忘れ、ただ利己的に生きているからではないかと思われる。

この点について評論家の江藤淳は、戦後の日本の現実を支配している思想は、「平和」でもなければ「民主主義」でもない。それは「物質的幸福の追求」である。と寸鉄、人を刺す名言を残している。

稲盛会長は平成9年円福寺で在家のまま得度されたので、多少宗教の言葉が入ってくるが、人間性を磨くための心がけとして次のように言う。

 1. 人のために尽くしたり、世のために尽くしたいと思うように努める・・・・・「布施」

 2. 自分を戒めてエゴをおさえていく・・・・・「特戒」

 3. 諸行無常、波乱万丈の人生に耐えていく・・・・・「忍辱」

 4. 精一杯働く・・・・・「精進」

お釈迦様が2500年前に説かれ、それが人間をつくることであり、悟りへの道であると教えた。

最後に『老いてこそ人生』石原慎太郎著のあとがきで締めくくりたい。

老いは誰しも避けることは出来ない。老いてその先必ず死ぬ。誰もがそれを知ってはいても自分のこととしては、信じていない。この滑稽な誤謬の原則が実は人間の生き甲斐とも味ともいえる。

老いを迎え討ち、人生の成熟の時代をさらに成熟させて、人生という劇場の決して短くはない最後の幕をたっぷり味わっていくためには、人生の経験を重ねてきた人間としての意識を構え、老いをしっかりみつめて味わうことだ。

(前島原商工会議所会頭)

2003年9月30日