ちょっといっぷく 第80話

第80話 金鵄あがって15銭

 

先の戦争で戦費を捻出するため、税金が大幅にあげられた。中でも、タバコは一番税金を取りやすいからだろうか、その値上げはすごかった。

18銭だった「光」が一挙に30銭になった。当時「紀元2600年」の奉祝歌はわれわれの年代の方たちには記憶にあろう。

歌詞は、

「金鵄輝く日本の 栄えある光身にうけて いまこそ祝えこの朝

紀元は二千六百年 ああ一億の胸はなる」

 戦う相手のアメリカの歴史はたかだか200年、イギリスさえ5~600年、こちらは建国2600年の光輝ある歴史があるのだぞと歌ったものである。

そうは言っても、タバコの値上げは頭にきたらしい。庶民はかげでこっそり替えて歌っていた。

「金鵄あがって十五銭 栄えある光三十銭 いよいよあがる鵬翼は

二十五銭になりました ああ一億の 民は泣く」

 金鵄(それまではバットと呼ばれ、もっとも大衆品であった)、光、鵬翼すべて当時のタバコの名前である。

戦時中に大声でこんな歌を歌ったら警察に逮捕されるのは間違いないから、内緒で歌っていた。戦時中のスローガンに「ぜいたくは敵だ」というのがあった。これを「ぜいたくは素敵だ」とやって警察にひっぱられブンなぐられた者もいたらしい。

庶民の頓智と才能には敬服するほかない。

タバコは、増税によって7月1日から値上げされた。民間調査では、これを機に喫煙者の半数近くが「やめる・本数を減らす」と回答したとある。禁煙・嫌煙ムードの高まりや公共スペースから灰皿を撤去する動き等々、愛煙家やたばこ業界にとっては悩ましい日々が続きそうだ。

文芸評論家の秋山駿は、日経新聞紙上で煙草について述懐している。

戦後すぐ観た1920年代、30年代のフランス映画では、男も女も、ひどくかっこう良く煙草を吸っていた。あれが大人のお洒落だ、真似しよう、ということでうちそろって日比谷公園に行き、お互いに大口を開いて、ホラ煙りがこんなふうに入っていくだろう、というようなレッスンをした。

占領軍最高司令官マッカーサーのコーンパイプ姿は、フランス映画と比べると品が下がった。優雅さがなかった。アメリカはくだらないと感じた。

もっともそのころは、配給物の煙草の葉を、コンサイス辞書のページを破って、手巻きで吸ったりしたものだが、アメリカ映画の西部劇などで俳優が実に冴えた手つきで手巻きをつくる。そこには感心した。

これを読むと、往時を懐かしく思いだされる読者も多いのではあるまいか。

煙草のみのカッコ良さや「たばこの記憶」を消すのは容易なことではない。

奈良女子大教授・高橋裕子さんの話を引用させてもらう。

日本の男性の喫煙率は、多少減ってはいるものの、主要国のなかでは名だたる「たばこ大国」だそうだ。喫煙者が心臓病や脳卒中などの循環器病で亡くなる率は、吸わない人に比べ、男性で1.4倍、女性で2.7倍に達することもわかっている。他人のたばこの煙りによる受動喫煙の害も繰り返し指摘されている。

それでもなかなかやめれないのはなぜか。「たばこをやめれねいのは、れっきとした病気だ」とおっしゃる。

ニコチン依存症なら薬で治せる時代になったが、たばこを吸っていた記憶は薬では消せない。アドバイスが大事という。

禁煙に成功したアドバイザイーの人達が、後輩を指導する。指導する側も後輩に助言することで自分を律する側面もある。つまり意見を言った手前吸うわけにはいかないだろう。

禁煙の動機は「体調が悪い」「家族が文句を言う」に次いで多いのが「職場で吸えなくなった」だそうだ。

以下は私の体験談である。

私はたばこをやめてもう20年以上にもなろうか。それまでは1日に40本も50本も吸うヘビースモーカーであった。

ある酒席で、金子書店の金子織君が「たばこは百害あって一利もなかとぞ。即刻やめろ」という。

こっちも弾みで「よし やめたる」とやったら、同席していた島原新聞社の清水社長が「私が証人になる。いまここで禁煙の誓約書を書け。万一約束を破って喫煙の現場を見た人には、世界一周の旅行をおごるべし」と大変な約束をさせられ、文書にしたためた。その時点で愛用の1万円もしたライターや吸い残しのたばこ全部を潔く捨ててしまった。

禁煙を始めて1週間くらいは、たばこを10本くらいまとめて口にくわえ、思う存分吸っている夢をみたり、ひとが吸っているたばこの煙りを、クンクン鼻を鳴らして吸い込んでみたり落ち着かなかった。

しかし世界一周がかかっているのである。欲しいけれど我慢した。1ヵ月もするとやっと落ち着いて禁煙に成功した。

余談だが、元島原税務署長だった平山三里さんが、よし俺もやめようと誓約書を書いたが3日ももてなかったようだ。やはり強力な監視人がいないと実行は難しいということだろう。

自分だけの意志で禁煙することは至難のようである。

(元島原市商工会議所会頭)

2003年9月9日