ちょっといっぷく 第42話

第42話 論語とそろばん

 

わが国最初の商工会議所である「東京商法会議所」は、明治11年3月、日本資本主義経済の確立者であり、明治・大正・昭和の財界の大御所である渋沢栄一を中心にして設立された。

渋沢栄一の志は、経済の道も、人の道でなくてはならない。論語とそろばんすなわち孔子の教えと経済を一致させるべきと終生唱えつづけた。そして関係会社は、銀行・保険・製鉄・自動車・セメント・ビール・建設・電力・航空会社等々そのほか大学経営など500という大実業家となった。

過日日商総会の記念講演は、作家童門冬二氏の「商工会議所と渋沢栄一」であった。

渋沢の生涯を摘記すると、最後の将軍徳川慶喜に仕え、万国博覧会使節団の一員となりパリに渡り、フランスをはじめヨーロッパ諸国の実情を見聞し帰国する。明治新政府がスタートし理財の才能をかわれて大蔵省に勤めた。「官尊民卑」をいやという程体験し、官僚が嫌になって34歳で退官、ここから怒濤のような実業活動がはじまる。

童門氏の話は、IQ社会(偏差値尊重)を否定し、EQ社会すなわち相手の立場にたってものを考える、自分さえよければよいという考えでなく、他人に対するやさしさ、感動感性を大事にする社会をめざすべきと訴えていた。これこそ古来からの東洋の思想であり、孔子の教えでもある。

論語の一節の紹介があった。孔子の高弟のなかでも秀才であった子貢が、あるとき孔子にたずねた。「一言で終身これを行うものがありや。」これにたいし孔子は「それ恕(じょ)か」という。そして「自分がしてもらいたくないことを、他人にしてはいけない」とつづくわけだが、恕とはやさしくいえば、相手に対する思いやりの心をいう。さらにすすめていえば、相手の立場にたって考えるということだろう。

孟子の『忍びざるの心』の話もでた。人の不幸をみすごしにできない惻隠の心をいう。

東京のJR新大久保駅で、ホームから線路に転落した男性を助けようとして死亡した韓国人留学生と日本人カメラマンの行為は、まさしく孟子の『忍びざるの心』の現れである。

韓国内の新聞社説では、韓国社会で喪失しつつある儒教精神を覚醒させたと報道されていると聞くが、わが国では孔子孟子の教えはほとんど忘れ去られようとしている。

21世紀に生き残る企業は、誇りと同族意識にもとずく『うちの会社』的発想の日本式経営であろう。世の中がいかに変化しようと現実対応はしていかねばならないが、原理原則は変えてはならない。

会議所の在り方は、リーダーとしての価値観をおしつけてはだめ、はみだしの分をいかにすりあわせるか、自主性、主体性を尊重しつつ解決策を提供するが、最後の判断は個々の企業がなすべきである。という話であった。

(島原商工会議所会頭)

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