ちょっといっぷく 第39話

第39話 教育再生論

 

文芸春秋3月号に教育再生について20人の論客が提言をしていた。

新学習指導要領で、小・中学校の学習内容を3割、授業時間を週2時間も削減するという。勉強の出来、不出来はある程度詰め込まれる知識の量で決まるから、学習内容を3分の1も減らせば、学力は加速的に低下するのは必至だという意見が強い。

元来勉強の好きな子供なんて居る筈はない。半ば強制的にさせられてやっとそのおもしろさが分かる。強制と義務の観念が始動力となり、やがて納得と自発が伸び伸びととって替わる。それが自然な教育の姿である、という主張はうなずける。

町村文部科学大臣は、日本の教育の一番悪いところは「悪平等」だと指摘、機会の平等ではなく、結果の平等を求めてきたことについての反省を述べている。

我々の時代、島原中学にも1年4組というのがあった。入学試験の成績の良かった者を集めて英才教育をしようという試みであった。島高80周年祭の時、4組の担任であった長谷屋先生が見えておられたが、「あの制度は今考えても絶対まちがっていなかった」と胸を張って言っておられた。が、どういうわけか1年限りで霧散してしまった。

私の体験から言うと、英語の時間は、先生が英語で質問して生徒は英語で答えなければならないから、前の日にしっかりと予習をして丸暗記して授業に臨まないと全然わからなくなる。答えられなかったらゲンコツを喰らう。必死になって詰め込むわけである。数学にしても分からないと面白くないし、放っとくといよいよ分からなくなる。いやでも一生懸命努力している内に答えが見つかると面白くなり、更に一段と難しい問題に挑戦してみようという気になる。

何故それ程勉強しなくてはならないのかと先生に尋ねたことがある。先生曰く「勉強するといったって長い人生のホンのひと時ではないか、今の体験はきっと将来の財産になる」といわれたことを思い出す。

「孟母三遷の教え」というのがある。孟子が幼いころ、その母が勉強する環境を考えて3回も住居を変えたという話であるが、そこまでは兎も角、石原慎太郎も親は子供にとって生涯の教師、又ある人は受験戦争は親子でする苦労、親子で体験する苦労は家族の絆を深める絶対条件とも言っている。つまり子育ては、大人が自分の自由や権利を犠牲にすることに幸福を感じなければ成り立たないと主張する。

悪平等をすすめて、競争社会に不向きな“ダメ人間”「全員に満点を取らせる」という教育を受けた人間が企業に入っても、すぐに会社をやめてしまうか、難の目的も持たないフリーターが増えるだけ。

分数も解けない日本の大学生レベルでは、インドや韓国の後塵を拝するのは目に見えている。

(島原商工会議所会頭)

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