ちょっといっぷく 第36話
第36話 李下に冠を正さず
(李下で手を挙げて冠のまがっているのをなおすと、李(すもも)の実を盗むのかと疑われるということから)他人の嫌疑を受けやすい所行は避けるようにせよの意=広辞苑より=
連日報道されている松尾某前要人外国訪問支援室長の疑惑にかまかけて、去る日曜日、報道2001年のテレビ放送で竹村健一が、この漢文を引用していた。
その中で、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の一節、大諜報について少し追加補足をしてみたいと思う。
日露戦争開戦前、ロシアそのものに接して国内革命を扇動した明石元二郎大佐の話である。児玉源太郎から「ロシアにおいて革命を指導せよ」との秘密命令を受け、革命資金として100万円(現在の100億円に相当すると竹村氏は言っていたが…)を受け、ロシア帝政を内部から崩壊させるための扇動行為を2カ年にわたって続け、日露戦争を大勝利に導いた。後の評価では、彼の偉業は、数個師団に相当するといわれ、彼一人の存在は在満の陸軍のすべてか、それとも日本海にうかぶ東郷艦隊の艦艇すべてにくらべてもよいほどのものであった、といわれる。
これ程の大功労者が、公金について大変几帳面であった。工作費として東京から送られてきた100万円を使ってゆく上でいちいち使徒を記録し、のち東京にもどったとき27万円の残金があった。彼はそれを参謀本部次長長岡外史に返済している。「元来、仕事の性質が性質だし、返す必要のない金なのだが、明石は受取書や使徒の書付などをつけて返した」と、長岡は明石の死後、語っている。もっとも厳密には100ルーブルだけ帳尻があわなかった。が、これは帰国の途上、列車の便所のなかで札をかぞえているとき、うっかりおとし、そのまま吹きとばされてしまったからである。
この話と、松尾某前室長の同じ機密費の使い方に、なんと差があることか。自分で稼いだ金をあれ程大胆に奔放に使うのであれば、男の甲斐性、不景気の日本経済の活性化に貢献ありと羨望と、いささかの尊敬すら覚ゆるところだが、その金がくすねた税金となると「なんてこった」ということになる。
明石大佐の話にもどるが、前述のとおり日本を勝利に導いた大功労者でありながら、自宅はアバラ屋だった。雨もりがひどく、奥さんが修繕してくれと頼むと「機密費を使っておるから疑われてはいけない」といって修繕をしなかった。
冒頭の「李下に冠を…」に通ずるわけだが、平成の外務官僚と比較、正に月とスッポン、明治の気骨というべきか。
(島原商工会議所会頭)