ちょっといっぷく 第32話
第32話 四十不惑の諸君に告ぐ(2)
司馬遼太郎の対談について。
40は組織の中で一つの頂点に当たる。江戸時代の幕藩体制然り、明治維新でも大革命は20代前半の志士たちが担い、やがて四十の坂に近くなると、明治という新体制国家の原動力となっていく。40歳は大きな権力と実行力をもっていた人達であった。
当時と比べ平均寿命は相当伸びたが、自分の盛りをどこにもってくるのか。五十で素晴らしい栄光を掴む人もいるし、六十で掴む人もいるだろう。絶対数からいえば四十の坂の人が多い。「人間の価値」を何歳の時にもとめたいかと聞かれたら間違いなく「四十」だと言い切っている。
40歳という年齢は、経験も積み、気力・体力ともに充実したまさに働き盛り、男盛りの歳であり、恐れるものは何もない。精進も必要だが、極めつけの眼力を養い、自分の視点をしっかり持て、目的に向かい突進せよと説いている。
第2話。
リンカーンが第16代アメリカ大統領になったとき、友人がある人間をブレーンにどうだと推薦してきた。ところが一向に取り上げようとしない。そこで友人が「あれ程の人物をなぜブレーンにしないのか」とつめよるとリンカーンは、「あの男の顔が気にいらない」と答えた。頭にきた友人が「大統領ともあろう者が、面構えぐらいで人物を評価するとはどういうことだ。能力と顔とは関係無い筈」と食い下がると、リンカーンがその時、後世に残る名せりふを吐いた。『男は四十を過ぎたら、自分の顔に責任を持たなくてはならない。』
責任を持った顔とは、年輪のきざまれた顔をいうのだろう。
男子三日会わざれば括目すべしとあるように、男は3日も合わないでいると、ガラッと顔が変わる。男は生活戦線で毎日戦っているのだから、苦難に遭遇したり、仲間に裏切られることだってある。それを乗り越え前進してゆく。そのたびに男の内面的生活が充実してゆく。結果その充実が顔ににじみ出て顔がよくなってゆくというのである。
ある雑誌に元総理の福田赳夫のことが載っていた。日本武道館での葬儀の際、遺影をかかげるとき、少し若返らせよう、特徴であったシワとシミを消し去ったら全く別人になった話である。
シワもシミも、白髪であろうが、禿げであろうが、風雪に磨き抜かれた顔は、戦う者の勲章を表現しておるのだ。
どうか諸君、内面的充実をはかって味のある顔になってくれたまえ。
(島原商工会議所会頭)
2001年(平成13年)1月30日