ちょっといっぷく 第23話

第23話 マッカーサーと「青春の詩」

 

去る9月、東京会館で日本商工会議所総会が開催された。

来賓として森内閣総理大臣を初め平沼通産大臣、各政党の幹事長、政調会長が顔を揃えそれぞれのスピーチがあったが、さながら今日の政局を思わせる内容で、自党の売り込みに必死の様子がうかがわれた。

与党は、IT革命を経済再生の起爆剤とする話で、そのために不必要な規制を廃棄すべきといった内容が多かった。対する野党として自由党幹事長の藤井氏は、今までの金融が物(土地)に貸していたが、これからは人をみて貸す時代、つまり能力・意欲・根性のある人に貸すようになるというが、実行段階でなかなか難しい問題があるように思われる。社民党政審会長の辻元氏(女性)の話は、本気・本音・勇気・元気・根気のある人を待望すると歯切れが良かった。

総じて国民に期待する話ばかりで「目先の政治論」が多く、国の運命を担う政治家として天下国家を論ずる格調高い政策の話がなかったのは残念であった。

会議終了後、時間があったので、会場近くの第一生命館のマッカーサー元帥の執務室を見学した。満々と水を湛えた皇居のお堀端に屹立する、白亜の建物が第一生命保険会社である。その6階に、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーが使用した執務室が、当時のまま保存してある。

戦後はまさに遠くなりつつあるが、マッカーサー元帥(1880~1964)の

名前は50半ば以上の日本人なら誰一人知らない人はいないだろう。

昭和20年8月15日、日本が戦争に負けて、その月の30日、厚木飛行場にトレードマークのコーンパイプをくわえ悠然と飛行機から降り立つ姿を記憶しておられる人は多いと思う。マッカーサーが進駐軍の総司令官として日本にやってきたのである。

昭和25年朝鮮戦争勃発、マ元帥は国連軍最高司令官に任命されるが、中国軍やソ連空軍の参戦があり戦局は一進一退、京城(ソウル)の人口は45,000人に、4回にわたる血の争奪戦を経て全くの廃墟と化した。マ司令官は中国本土爆撃許可をトルーマン大統領に要請するが意見の不一致でマ司令官は罷免となる。数か月後に休戦会談が成立し、朝鮮戦争は終わりを告げるが、韓国側の発表によると、戦乱15ヶ月間に支社100万、避難民550万人であったという。

日本にとって敗戦後の特需景気を呼び、復興への足掛かりを掴んだのも事実である。

マ元帥が死の2年前、上下両院合同会議の席上で残したといわれる「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」の名せりふは、今も我々の記憶に残っている。

―つづく―

(島原商工会議所会頭)

2000年(平成12年)11月14日

 

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