ちょっといっぷく 第90話

第90話 まずは隗より始めよ

 

表題の意味は既にご承知のことと思うが、改めて説明を加えたい。昔中国燕の昭王に対して郭隗が進言した「人を用いるなら、先ずわたしから採用してください。つまり郭隗のようなつまらない人でさえ用いられるならば、われわれはなおさらであろうと、天下の人物が集まるに違いないと思うからです」という故事から始まる。

※中国古典名言事典 講談社

①大きなことをするには手近なことから始めよということ。

②何事も、言い出した者から始めよということ。

※岩波ことわざ辞典 岩波書店

『ちょっといっぷく』

も今回で90回となった。予定の100回まであと10回である。

そもそもの書き始めは、島原新聞100周年に寄せて、身辺雑事を取り上げ100回連載に取り組もうと決意した時からである。過去何回か申し上げたように、この寄稿文は「…すべきである」「…せよ」よいった自己主張ではない。分かり易くいえば、行き当たりばったり、広いジャンルで問題提起したり、読者のアイデンティティを確立するための素材や情報を提供したいという程度のものでしかない。つまり、あとのことは読者のみなさんが自分で考えて結論を出してくださいと、そのお手伝いをしたお節介に過ぎないのである。

実は拙文の反響の大きさに私自身が一番驚いている。沢山の方々から激励のことばやらお手紙を頂戴した。関心をもって読んで下さる方々に紙上をお借りして心から感謝したい。

なお、この拙文をきっかけに、島原新聞への投稿文が増えたことである。つまり、拙文を読んで、それくらいの文章なら俺だって…という気になられた読者は多いのではないか。これこそ島原新聞が『おどんたちが新聞』となり、新聞を作る人と読む人の一体感が醸しだされるのではないか。私のお節介やきの真意の一つはそこにあった。最近いろいろな人の投稿文が増えつつあることは誠に喜ばしい現象である。

話はかわるが、最近の犯罪の増加は目を奪うはかりだ。新聞によると全国の犯罪件数は2002年までの5年間で1.5倍に増えたという。国民43人に1人が何らかの犯罪に巻き込まれる計算だ。

対策はないのだろうか。

『割れ窓理論』というのがある。まず自動車を1週間放置した。事件は何も起きなかった。次に同じ自動車の窓ガラスを1か所割ってみた。すると数時間のうちに車の部品や中の荷物などが盗まれてしまった。割れたガラスを放っておくと、犯罪を誘発するというわけだ。

最初の小さな犯罪防止こそがその後の犯罪抑止につながる。これを考えたのはニューヨークのジュリアーニ前市長である。

落書きをするな。道端に寝転ぶな。それを片っ端から検挙した。「凶悪犯罪のほうをやれ」と言われたが「まあ今に見ていろ」と続けているうちに、本当に凶悪犯罪がなくなってきた。最近では日本より治安が良くなっているという。

日本の警察はこれまで「検挙に勝る防犯なし」と考えてきた。防犯を未然に防ぐことより、起きた犯罪の犯人を捕まえることを優先していた。ところが『窓割れ理論』やニューヨークの事例で、別のやり方もあることに気付くのである。

次の文章は「5年後こうなる 日下公人」の一節である。

ジュリアーニ氏(前述)は「学術や専門家に聞くと、犯罪の原因は教育不足と失業だそうだが、その改善など待っていられない。まず人間の道徳の向上から着手する」といった。なんでも客観条件のせいにするのは化学がもっている病気で、人間不在の幣に陥る。

昔日本の小学校では「整理・整頓」とうるさく言われて、みんなで掃除をさせられた。今思えばあれが良かった。掃除をしていると道具の使い方を覚えるし、学校を愛する気持ちにもなる。細かいことをちゃんとやっていると、凶悪犯罪もなくなるとは再発見で、その流れは日本でも起こるに違いない。ネーミング的には「整理・整頓」の張り紙が復活する。

それは公共の場を私物化するなという意味だから、共同体精神の復活に通ずる。工場でも会社でも学校でも、昔は細かく整理・整頓をやっていたが、最近はだんだんおざなりになってきた。しかしやらないと、やっぱり仕事運が悪くなる。品質が低下する。人間の質も劣化する。

1回乱れてみると、その大切さがわかってきた。だからこれから日本中、「整理・整頓が大切だ」になると思う。

小さいことから入って、日本をまっすぐにする。まっすぐになると、健全になる。健康になる。黒字になる。

一見小さな一歩だが、そういった小さな一歩から回復が始まるのである。

これを読んで思い出したのは、旧制中学時代、「今週の実行要目」というのがあって「整理・整頓」は毎週出てくる標語であった。繰り返し繰り返し徹底的に仕込まれたものである。

最後に市町村合併問題について若干ふれておきたい。

なぜ合併をしなければならないか。国は財政力が減ってきたために地方の面倒がみきれなくなった。合併特例法に基づいていろいろの支援対策を立て合併を促進している。大きく合併させて無駄を省き効率の良い行政運営をやろうというわけであろう。

住民の立場では、この機会により良いすばらしい町造りを念頭に置き、合併はそのための手段であることを忘れてはならない。

この考えのもとに、一緒になってやろうという情熱とお互いの信頼感がなければ成功しない。総論賛成、各論に入ると利害損失があって激論になる。激論になればお互いの理解が深まる。理解が深まれば参加の意識も高まるのである。

編入が、対等かの議論もある。島原市と有明町は『対等合併・編入方式』でよいのではないか。

「まず隗より始めよ」1市1町で確固不動の素晴らしい町造りを実現させよう。

1市16町の合併は、将来の目標である。相手があることだし、孟子にも『天の時、地の利は人の輪に如れず』というではないか。機まだ熟せずと思われる。根気よく話し合いを進め、特例法の期限切れ後でも時間をかけてじっくり議論、機運を盛り上げて実行に移せばよい。

(前島原商工会議所会頭)

2003年11月18日