ちょっといっぷく 第86話

第86話 昭和史の教育

 

竹村健一は、戦後わが国最大の問題は、歴史問題ではなく、歴史教育だという。

つまり日本人の立場にたった日本の歴史というものを教えなかったことが問題だという。

「教科書」問題や「靖国神社」問題にみられる中国や韓国の内政干渉的言辞も、所詮は日本を加害者、自らを被害者と信じているからではないのか。多くの日本人もそう思っており、相手から「日本は加害者としての反省がない」と言われると、たちまち畏縮してしまう。

そもそも日本人が日本の歴史を書くのに、中国や韓国に伺いを立てる必要があるのか。他国の「理解」や「承認」を得て自国の歴史を書く国はただの1つもない。

歴史とは民族の履歴書だ。どの民族も国家も、できるだけ暖かく自分たちの過去を見ようとするのは自然なことだろう。中国の歴史教科書は数10頁を費やして阿片戦争を書くが、英国の歴史教科書の中には阿片戦争について一行も触れてないものもある。そして、それについて中国が英国に抗議したこともない。抗議しても英国が応ずるはずもない。歴史とはこのようにナショナルな感情や利益と密接しており、万国に共通の歴史理解などまずありえない。

以上は、中村粲(東大文卒・独協大教授)大東亜戦争への道からの引用である。

文芸春秋10月号では、特別企画で昭和史を取り上げている。その中で、呉善花(評論家・韓国出身)が明快な意見を述べている。

韓国では「日本人はいまだに過去を反省することがないばかりか、国内には軍国主義復活への策謀がうごめいている」と教えている。日本人が韓半島を侵略したというのが、当たり前の歴史認識である。

しかし、植民地時代、開墾・干拓・灌漑などの土地改良。鉄道・道路・航路・港湾等の交通設備や電信・電話等の通信設備の敷設。近代工場や大規模水力発電所の建設。米の生産高の驚異的伸長…。相当の貢献をしているにもかかわらず、これらはみな支配の都合で、アメとムチのアメにすぎないと一蹴するのである。

植民地統治下だろうと、嫌なこともあったがいいこともあった、害もあったが利もあった…それが偽りのない事実ではないか。

植民地化で最も重要なことは、植民地統治者が一般の生活者の生活圏を侵したのか、侵さなかったのかということである。

統治者や統治国の人々が、勝手に生活圏に入り込んで略奪を働いたり、暴行を加えたり、女性を強姦したり、無法な人殺しをしたりなどのことが、頻繁にあったのかどうかが、大多数の人々にとっては一番肝心なことだ。日本統治下でそうした事件がほとんど起きていない。

日本の植民地統治の性格は、統治9年目に起きた独立運動以後、基本的に独立運動の要請を受けて、総督武官制の廃止、軍隊統率権の廃止、憲兵警察の廃止、地方制度の改正、言論・出版・結社・集会の制度廃止などの法制度改革を行い、日本内地と同じ普通学校制施行、大学の設置(京城帝国大学)、文学・芸術活動の活性化などの文化政策を推し進めていったのである。

もちろん、すべてが善政だったとはいわないが、少なくとも日本政治の35年間は、全般的に武力的威圧をもっての武断統治ではなかった。日本は朝鮮全域に強力な軍事支配の弾圧政治で、人々の抵抗を封殺し続けたと思ってる人が少なくないが、現実をまったく知らないというしかない。事実は逆に、早くから武から文への転換がはかられていった。

日本の統治時代は、金日成や李承晩時代とくらべ比較にならないよき時代であった。そのことを、日本人も韓国人もきちんと後の世代にも伝えていかなくてはならない。

韓国の有識者のなかに、このような考えをもっている人もいることは、心強い限りであるが、まだ少数意見であることが残念でならない。

文芸春秋同号に馬立誠(人民日報高級評論員・中国人)との対談が載っている。

彼は日本研究の専門家でもなく、親日家でもない。今夏、香港のテレビで「中国にも日本を侵略しようとした歴史(元朝時代)があった。」という発言、物凄い反響をまきおこしたという。彼はいう、1972年の中国との国交回復から、もうすでに21回も謝罪を繰り返している。日本の謝罪はもううんざりだ、これ以上の謝罪は必要ない。と

彼の主張は早く、「普通の国」になり、政治大国を目指せという。狭搤で感情的な日本批判は、両国それぞれの発展を阻害すると説くのである。

中国と日本の関係がいまのような状態のままでは、日本には前途はない。そして同じように中国の前途もない、と言っている。

両国とも胡主席が語った8文字「放眼長遠籌謀大局」

(視線を遠くにおき 大きな目的を達成する…つまり、お互いのわだかまりを心から自然に許せる状況を待つのではなく、戦略として耐えて前にすすめ)というのである。

(前島原商工会議所会頭)

2003年10月21日

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