ちょっといっぷく 第74話

第74話 東京裁判 その3

インドから派遣されたパール裁判についてもぜひ記しておきたい。

彼は11か国の裁判官なかでたった一人『全員無罪』を主張したのである。

興行的誇示と、連合国内むけの安価な復讐感覚に訴えるために仕組まれた東京裁判だが、インドのパール判事はすべて無罪の判決を言い渡すのが当然であるとの意見を提出した。裁判を仕組んだ側の連合国当局の驚愕と狼狽は言語に絶した。

法廷ではこれを朗読せねばならない。弁護士側も法廷で朗読すべしとの動機を出した。裁判長は長文でこれを朗読するのに数日要するとの口実で、朗読を禁じた。日本が昭和27年4月28日、独立回復までは、パール判決正文は一般の手にははいらなかった。

この判決文について当のパール判事は「私は日本に同情してこの意見を呈したのではない。私の職務は真実の発見である。真実を探求した結果、あのような結論になった。それ以上のものでも、それ以下のものでもない。」パール判事は一般国際法の典籍はいうに及ばず雑誌になり単行本なりに至るまで、賛成論も反対論もことごとく研究の対象となした。使用された文献は3000冊にのぼるといわれた。

国際法学の権威であるイギリスのハンキー卿は「裁判官パール氏の主張が絶対に正しいことを、わたしは全然疑わない。」と保証している。日本大学からは名誉法学博士の学位を、日本政府は平和に対する功績を認め、勲一等瑞宝章を贈った。

最後に、東京裁判とは直接に関係はないが、後に有名になったマッカーサーの「日本自衛戦争」証言を取り上げてみる。昭和26年5月3日アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会でマッカーサーは、日本が戦争に突入したのは、自らの安全保障のためであり、つまりは大東亜戦争は自存自衛のための戦いであったという趣旨を陳述している。

以下の邦訳文は、ラッセル委員長の質問に答えた上院の議会速記録からの採録である。

問 中共に対し海と空とから封鎖してしまえという貴官の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。

答 その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は8000万に近い膨大な人口をかかえ、それが4つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。

潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けているときよりも、働き、生産しているときの方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもいいようなものを発見していたのです。

これほど巨大な労働能力をもっているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは綿がない。羊毛が無い。石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。その切実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。

もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、1000万か2000万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。

さらに書き加えれば、この証言前、昭和25年10月15日トルーマン大統領とウェーキ島で会談した際に、「東京裁判は誤りだった」という趣旨の告白をしたことは現在広く知られている。

参考文献

※東京裁判・日本の弁明

小堀敬一郎編 講談社 学術文庫

※秘録 東京裁判

清瀬一郎著 中央公論新社

※東京裁判

島内龍起著 日本評論社

※図説・東京裁判

太平洋戦争研究会編

 

(前島原商工会議所会頭)

2003年7月29日

前の記事

ちょっといっぷく 第73話

次の記事

ちょっといっぷく 第75話