ちょっといっぷく 第100話(最終回)

第100話(最終回) 終りの始まり

去る9月11日の総選挙では小泉自民党が圧勝した。『変人』と言われる小泉総理とはいかなる人物なのか、永久番記者としてみじかなところで観察し続けた里見隆氏の寄稿文からその一片を知ることができる。(文芸春秋10月号)

小泉氏はすべての事象を単純化する。それが「ぶれない」「果断な決断」と評価される。この人の脳裏にあるのは、単騎で駆けた桶狭間の織田信長、幕末に少数で決起して藩政クーデターを実行した長州藩の高杉晋作なのであろう。

首相就任直後に、嫌なことがあると『特攻隊の気持ちになってみろ』と自分に言い聞かせているとの国会答弁、森氏が総選挙を回避するために「秘策」を提案したとき「これは信念だ。俺は殺されてもいい」と語ったという話、死を恐れないというこの人の美学であり、覚悟があるのであろう。

これが今までの自民党首相とは違うという国民の支持をえた理由なのだろうか。

価値観があまりに多様化した閉塞感の中で世間は「強いリーダー」の決断を支持する。小泉氏の行動は独裁ではなく、経済社会の動きに、政治が追いついてきたと世論は受け止めたというのである。

改革のためには一時的に蛮勇に必要なのかもしれない。

さて、小泉氏は「政局の天才」といわれるが、今回の選挙で示されたようになかなかの戦略家でもある。小泉戦法で思い出したのは『孫氏の兵法』である。

兵法とは勝つために戦い方の理を知る教科書である。特に有名なのが中国の春愁戦国時代に生きた『孫氏の兵法』がある。

何年か前、中条高徳氏の講演を聞く機会があった。共鳴するところが多々あり、著書を何冊か買って読んだ。そのなかの1冊゛小が大に勝つ「兵法の実践」”(かんき出版)の一節を紹介したい。

著者は、昭和2年長野県生まれ。陸軍士官学校、終戦後、旧制松本高校から学習院大学に進む。アサヒビールの副社長として、ドライ戦争の第一線で陣頭指揮をとり、キリンを抜いてアサヒを日本一にした人なのだ。

その冒頭に出てくるのが「一点集中」の話である。

大は小に勝。多は少に勝つ。衆は寡に勝つ。強は強く、弱者は弱い。

一般的には、弱者が強者を相手に戦っても、まず勝つことはできない。ましてや弱者(小)が強者(大)のまねをしているだけでは、永遠に勝つことはできない。これは孫氏以来の原則である。

では小は大に、少は多に、寡は衆に永久に勝つことはできないのだろうか。

兵法では、強者と弱者の戦いで弱者が勝つためには①一点集中②少数精鋭③個別撃破④奇襲戦法の4つの方法があると考えている。その中の「一点集中」について

我らは専らにして1となり

敵は分かれて10となれば

これ10をもってその1を攻むるなり

即ち我衆にして敵は寡なり   (「孫故」虚実)

わが方が一丸となり、相手が分散して10の集団に分かれると、わが方が10倍の数で攻めることになる。すなわち、わが方は多数で、相手は少数になる。

たとえば、10の力を有する軍勢(A)と、5の力を有する軍勢(B)が相対したとする。全体の力を見ると、AはBの2倍だから、Aは絶対的に優勢である。つまり、Aは衆(多)であり、Bは寡(少)である。ところが、Aが分散して10個の集団に分かれると、1個の集団の力は10分の1になる。

Aの絶対的優勢が、分散によって崩れる。そこでBが5の力をそのまま結集して、10分の1になったAの集団のどれかを攻めればAとBの力の比は1対5であるから、今後はAが寡となり、Bが衆となって、AとBの強弱が逆転する。

こうすると、全体的な力ではAの半分しかないBでも、Aに勝てる可能性が出てくる。これが兵法の原則である「一点集中」という考え方である。

※戦捷の要は、有形無形の各種戦闘要素を綜合して、敵に優る威力を要点に集中発揮せしむるにあり。(「作戦要務令」綱領)

これは孫子が説く「一点集中」の近代的な表現である。

ナポレオンはよくこの戦法を用い、敵の兵力を牽制して分散させ、決戦の場に自軍の兵力を集中して勝利をおさめた。

あるとき部下のひとりが「陛下は常に少数を率いて多数に勝った」というと、ナポレオンは「そうではない。私は常に多数で少数に勝った」と語ったという。

小泉氏が孫氏の兵法を念頭において戦ったかどうかは知る由もない。そのじゃっ賞の意味するものは果たしてなにか。

中国春秋左氏伝にでてくる

◎兄弟牆にせめげども、外その侮りを禦ぐ

とあるのを思い出してもらいたい。

兄弟は家の垣根の中でけんかをしていても、いざ外から侮りをしかけられると、互いに手を取り合ってこれをふせがねばならない。つまり外敵に対しては、内輪のけんかはやめて1つになるべきである。(中国古典明言辞典)。今回の圧勝を近隣諸国がどううけとめるか。強固な政権基盤の上にたって、少なくとも侮りを受けないよう心してもらいたいものだ。

『ちょっといっぷく』

も本稿で100回を迎えた。ここで一応けりをつけたいと思う。

経師は遇い易く、人師は遭い難し(資治通鑑字句の講釈をする師は多いが、人の道を教える師はなかなかいない。これは千葉商科大学長加藤寛氏の解釈である)

人生は短い。人間1人が経験する事象はきわめて限られている。いい人生を送るためには人との出会いが大切、最も手っ取り早いのは古典を読み、或いは先人たちの人生訓や箴言に耳をかたむけることだろう。

この類の片言・隻句を過去10年余りに亘って折にふれ書き留めた記録が相当の量になった。

今読み返してみると、燦然と光芒を放つ名文句や警世の句も少なくない。

読む人によっては退屈だと思われても、なんにんかの人達にいくらかでも参考になれば望外の喜びである。

とまあ自分勝手に屁理屈をつけて今後も時々書かしてもらいます。

終りの始まりです。

長い間のおつきあい感謝します。

おわり

2005年10月2日